DYM

-2016年新卒内定者紹介サイト-

HOME > 内定者紹介 > 内定者4

出身大学 / 明治大学 農学部

誇り高く生きる

誇れること


  • 応援団団長を務めたこと
  • 母校のために尽力したこと
  • 多数メディアに取り上げられたこと

私の学生生活

     

大学生活のほとんどは応援団に費やしておりました。大学では4年生の時に第九十四代団長に任命され、100余名の団員を牽引し、大学のため体育会各部のために日々活動しておりました。団長に就任してすぐに多くの問題がこの団には存在し改善していかなければならないことに気づきました。その一つが「本質の追求」です。応援団の本質は「各部活動の応援」と「学生の統率、模範」でした。しかし、設立から94年も経つと「本質」から外れたものが生まれ、そしてそれがいつの間にか伝統となってしまっているものが多くありました。もちろんその中には残していかなければならない良き伝統も有りましたが、大抵は「本質」から外れた悪しき伝統でした。今まで行っていた伝統を一つ一つ精査し改定するという大改革を行いました。また、全団員が同じ目的に向かって突き進むために説明、説得、理解させることを必ず行いました。その結果、団全体がよく回るようになり、コーチからもここ数年で一番いい団だったとお褒めの言葉を頂きました。

人生で最も頑張ったこと


私が人生で最も頑張ったことは、部活動です。私は中学1年生から高校3年生までの6年間と、大学1年生から4年生までの4年間の計10年間応援団に所属しておりました。応援団と聞いてもあまりピンと来ない方が大半だと思います。私が所属していた応援団は正月の箱根駅伝の応援から始まり、野球、相撲、サッカー、ラグビー、スキーと言ったメジャーなスポーツからマイナーなスポーツまで様々な部活の応援を行っておりました。他にも冠婚葬祭などの営業活動も行っておりました。応援団という部活の難しいところは明確な目標が無いところにあります。多くの部活などは勝ち負けで評価され、選手は結果を求め努力します。しかし。応援団は形として残る成果は何一つありません。そのうえ、厳しい練習を行っている選手を応援するために、より厳しい練習を自分たちに課す。そんな団体に10年間身を投じ自分をひたすら磨いていました。この10年間が自分の人生の中で最も頑張ったことだと思います。

就職活動中のエピソード


私は、応援団をやっていた影響か「他人から感謝されるようなこと」を仕事としたいと思っておりました。それが私の何よりのモチベーションだったからです。その為、他人の人生を豊かにできること、幸せにできるような商品、サービスを提供できような会社に勤めたいと考えておりました。その中で私が農学部ということもあり真っ先に浮かんだのは食品関係でした。世界には72億人もの人々がいますが、国や地域によって、容姿や言語、価値観や宗教など多くのものが違います。今日、その違いが世界中で争いを生んでいます。しかし、食品というのはすごいものでそれらの垣根を超えて全ての人を笑顔にして、幸せにすることができます。初めはそんな万能な食というものを販売したいと考えておりました。しかし、このDYMという会社に出会い、人々に貢献できるもの、幸せにできるものは決して食品だけではないなと思いました。現在は、多くの新入社員の方に意味のある研修を受けてもらいたいと思いDYMの研修事業部におります。

   

誇れることを教えて下さい。


誇れることは何より応援団という組織に在籍し、10年間活動してきたことです。応援団にいたことによって勉学に注力できなかったりアルバイトを経験できなかったりなど、普通の学生の生活や経験というものをすることができませんでした。その一方で普通の大学生では知り得ないようなことを数多く経験することができました。人よりも多くの方々と出会い、いろいろな話を聞き見聞を広げれたこと。自分のためではなく、他人のために自分を犠牲にしてでも何かを与えること。徳を積むといい運言葉が有りますが、応援団という組織下でひたすらこの徳をひたすら積んでいたと思います。この経験というのは、必ず社会に出てからも役立ち通用すると私は確信しております。言葉にはできませんがほんとに多くのことを与えてくれた応援団に在籍していたことはこれから先も私の人生の誇りです。また、応援団にいた事でテレビや雑誌、新聞などの各種マスメディアに取り上げていただき、一躍有名人のようになれたのもちょっとした誇れることです。

座右の銘を教えて下さい。


私の座右の銘は山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」という言葉です。私は応援団時代に人の上に立つものとして、この言葉を常に意識しておりました。人を活かすも殺すも、その上の人の能力や責任だと私は考えております。人を育て上げるために何が必要なのか、どうすれば良いのか悩んだところでこの言葉に出会いました。この言葉は有名だとは思いますが、実はその続きが存在します。「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」今日の組織というのは部下や後輩を管理しているところが多く見受けられます。しかし、本来は管理ではなく教育をしなければ人というのは育ちません。人を教育するというのはとても難しいことで、何よりも根気が必要です。私と同じように人財の育成に困っている多くの人々にこの言葉を知っていただきたいと思います。

DYMを選んだ理由


私は初め超大手思考で、有名な大手企業しか受ける気はありませんでした。そんな中、3月くらいにとある合同説明会でDYMとであい半ば無理やり説明を聞かされました。しかし、話をお聞いてみるとベンチャー企業という自由度の高さや、早くに成長できるという部分や、次の説明会に社長が登壇されるということで興味を持ちました。社長が登壇された説明会では、何よりも社長の話がとても面白く、この社長のもとで働きたいとそう思うように選考に進むことを決意しました。その後の面接では、面接官の方々が皆個性的で素晴らしい方が多く魅了されました。その後、選考をストップしていただき、他の大手企業の説明会や選考を受けました。しかし、選考が勧めば進むほどDYMほどのインパクトがなく良さがはっきりしませんでした。結果として、こんな社員の方々と一緒に働きたいと思えて、なおかつ多くの企業の中で一番心に残っていたDYMというこの会社に入社を決めました。

将来成し遂げたい夢


公的な目標としては、「このDYMというベンチャー企業を、国や年齢に関係なく誰もが知るような大企業にして社会に貢献すること」です。ここ数年先輩社員の方々により業績も上がり成果も出していますが、このDYMという会社を知っているという人は多くありません。それはもちろんBtoBを主としている会社であることと若い会社であることが要因です。それでも、将来的にはホンダやソニーのような誰もが知る企業にしていきたいと思っています。また、私的な目標としては、「自分が育ってきたような素晴らしい家庭を築きあげ、いい父親になること」です。私は不自由なく今まで生きて参りました。これは、何よりも両親のおかげです。そんな両親を、何よりも自分の父親という存在を超えたいと思っています。それはもちろん仕事面も有りますが、私生活でも負けたくありません。その為に、自分が育ってきた以上の家庭や環境といったっものを、奥さんとともに築きたいと思っています。

一年後の目標


私の1年後の目標は、新人賞を取ることと係長になることです。私は入社前、DYMの説明会で「かっこいい大人にならないか?」という話が水谷社長からありました。私自身、学生い時代からかっこいい人になりたいと言う思いが強くあり、応援団に入団して男らしさを磨いたりしておりました。学生から社会人になっていの1年間で1番かっこよくなれる瞬間は何か考えたときにたどり着いたのが「役職者になること」と「新人賞をとること」でした。役職者になるには2Q連続の達成と黒字化が必要です。また、新人賞を取るには同期の中で一番の成績を出さなければなりません。もちろん険しい道ですし、何度も諦めそうになると思います。しかし、配属されるのが研修事業部ということで殆どの先輩が役職者であることや、新人賞を取られた先輩が2名もいらっしゃることからこの先輩方の言うことを信じてついていけば達成できる目標だと信じています。1年後に「役職者」になり「新人賞」を取ることができればそこからの自分の将来も大きく変わってくると思います。早くにマネージャーになり部下を持つことができるようになれば会社だけでなく社会にも大きな影響力を持てるようになると思うので、まずは1年目「役職者」になり「新人賞」を取ることを目標として頑張りたいと思います。