DYM

-2016年新卒内定者紹介サイト-

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出身大学 / 同志社大学 文学部

周りに将来を、未来を悲観させない漢になろう

誇れること


  • 素直であること
  • 人を観る目があること
  • 自分の人生は最高だど思っていること

私の学生生活

     

大学生活において、私は外向き名人間よりかはどちらかというとかなり内向きな性格でした。いい言い方をすれば自分なりの楽しみ方、自分なりの世界観がかなりしっかりしていたので、一人で遊んでいることが、基本的には多かったのです。ただ、友人の誘いはあまり断ることがなく、かなり率先して参加していましたので、交友関係に困ったことはまったくありませんでした。最もh路井交友関係ではありませんでしたが、彼らと過ごした何気ない日々が私には宝物です。普段一人で遊んでいるときは、朝から昼にかけて行きつけの喫茶店に入り浸って、多種多様の年齢層の常連客とおしゃべりをしてすごし、夜は行きつけの飲み屋さんで、お酒を飲みながらまたそこの常連客とおしゃべりをしたり、特技のタロット占いをして遊んでいました。それ以外ですと、フラッと一人でどこかに散歩に出かけていき、町の風景や人を写真に撮って遊んでいたり、外の空気からインスピレーションを得て抽象画を書いたりして休日を満喫していました。

人生で最も頑張ったこと


人生で最も頑張ったことといいますが、実のところ私にはそういった点で特に思い当たる節がありません。朝早く起きて、大学の授業を受けて、大学でであった新たな友達や知人とどこかに遊びに行ったり、彼女作りに奔走して、サークル生活を楽しんで、大学の私は実にごく普通の大学生であったといえるでしょう。生活にしても、私は実家暮らしで親もいましたので、家事選択で困った経験も雄藩の献立で悩んだり、今後の食費の計算で頭を抱えたことはほとんどありません。バイトもしていましたが、一種の社会勉強として行っていたに過ぎません。就職活動や諸経費で改めて小遣いの交渉をしなくてはならないとき、親が目の前にいるという点が、唯一難点であったといえるでしょう。その中で、私が自信を持って尽力したことをあげるなら、それは日本の生活に慣れたという点でしょう。私は人生の半分を家族とヨーロッパで過ごしました。そんな私にとってもっとも大きかった壁は文化の違いであったというわけです。

就職活動中のエピソード


私には高校生時代からなりたい職業がありました。それは「役者」という職業でした。将来なりたい職業がたくさんあった私には大きな名悩みがありました。社会人になって選べる職業はひとつだけという点でした。そんな私にとって役者は私のやりたいことすべてをかなえてくれるまさに天職そのものでした。しかし、就職活動を期にその将来の夢を一時封印していました。若かった私はなる意気込みだけは誰にも負けなかったということは今でも自負できるのですが、残念ながらなり方までは考えておらず、活動が間に合わなかったのです。それ以外に就職に軸がなかった私にとって、大きな出来事でした。いろんな職業に改めて自らの五感を集中してみて、どんな仕事にも楽しさがあって、その楽しさを見つけることが重要なんだと理解していくうちに当初つらくてたまらなかった就職活動もそれなりに有意義な時間となりました。自分の理想と現実のギャップはあっても、何かを楽しむ意志と努力に大きな違いはないのだと理解したそんなエピソードでした。

   

誇れることを教えて下さい。


私が誇れることはたくさんあります。その中から2つ皆さんに私の誇れるポイントをお教えしましょう。まず、私は遊ぶとき休むとき全力で遊んでいました。よく、何か大事な用事や宿題があったり、懸念事項があったりすると、それが気になってしまって、楽しいことをしているときに全力で楽しめないときありませんか?私にもそんな経験がちゃんとあります。ですがそれでは、休めなくてはならない体も休みません。よって私はそんなときは遊ぶことしか考えないことを義務として習慣化していました。不安も多いかもしれませんがこれができるできないで、人生の楽しみは大きく見え方が変わるものです。次に私が、誇れる点は、家族と彼女を誰よりも大切にしているという点です。当たり前なことだと思うかもしれませんが、誕生日は必ずプレゼントつきで祝ったり、母の日父の日にちゃんとねぎらいをしたり、まじめに家族とかかわっていくのって意外と難しいものです。おかげさまで、家族関係は大変よくて、就職活動で自信を失ったときも大いに励ましてくれたり活を入れてくれたり、大いに感謝しています。今後も帰れるときは家族に合うための時間をしっかり作っていくつもりです。

座右の銘を教えて下さい。


私の座右の銘は二つあります。「一期一会」、「賭して跳べ」この二つです。一つ目の座右の銘ですがこれは私の生きてきた人生から選んだものです。最初にも書いたように私は人生の半分を、性格には自分の人生の10年と8ヶ月をヨーロッパで生活していました。そんな私にとって、誰に、何に出会って、どんなことがあったか、こうした出来事の一つ一つが非常に重要なことだったのです。そうした出来事係わり合いが合って、今の自分があり、これからもそうした出会いやふとした出来事発見が私を変えていくご縁の世界、そうした人生を今後も大切にしていこう。そんな思いがこの言葉にはこめられているのです。もう一つの座右の銘は私の人間的な欠点からできたものです。大変内向き名性格である私は、あまり大きな冒険や出来事を好みません。どちらかというと自分の心地いい場所にずっととどまりたいほうです。しかしそれでは、自分の世界が狭いままであることが同時にとても残念だったのです。そんな私に父授けてくれて言葉でした。たくさん苦労をするしつらいこともあるだろう、でもきっと楽しいことも必ずあることに賭けて、新たな世界へ飛び込め。なかなかいい言葉だとは思いませんか?

DYMを選んだ理由


DYMを見つけたきっかけは、就職中に私がやりたい仕事を見つけることができず、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら、友人としゃべっていたことから始まります。DYMの内定者であったわが友人は、私の現状を見るに見かねて、私にDYMの説明会の日程とそこがどんな会社であるかを教えてくれました。説明会にいざ参加してみると、今までの説明会の中で一番面白かったし、興味深かったのです。まったく持って嘘がない。多くの企業説明会では自身の会社を褒めちぎります。それで自身の会社の悪い部分や手ぬるい部分を覆い隠そうとします。ですがこちらの会社にはその傾向が一切見られなかったのです。社長はむしろ最初の1年間はかなり苦労をかけるとまで断言して、それでも必ず採用されたみなを養うと約束をしてくれました。そこまでいわれてがんばる気が起きない理由が私には思いつかなかったのです。社長の言葉と「直感がこの会社に入いりたいといった」からが私の選んだ理由です。

将来成し遂げたい夢


私の成し遂げたい目標は元なりたかった職業の役者から来ています。前述しましたように、将来なりたい職業がたくさんあった私には大きな名悩みがありました。社会人になって選べる職業はひとつだけという点でした。そんな私にとって役者は私のやりたいことすべてをかなえてくれるまさに天職そのもの、自分がなりたいものすべてになれるそんなすばらしい仕事でした。そんな私が目指した夢は世界の人々に与えることでした。働くため、生きるためには夢という要素は必要不可欠なものです。あんなふうになりたい、こんな風になりたい、そんな夢を私に与えてくれたのは、テレビやドラマにアニメに出てきた、役者、声優たちでした。自分もその輪に入って、同じことをしたいそんな多きいい夢が私にはあります。そんな私の夢はこの会社に入って形を変えて今でも存在しています。私の今の夢は、「一人でも多くの学生の夢を、将来なりたい理想の自分を、リクルーターとなって一緒に探し、実現を助けることです。」よって今の自分が成し遂げたい目標は、「リクルーターになること」です。

一年後の目標


1年後の目標は、同期の中で雑用係NO.1になることです。全国レベルの私立出身、体育会系でオーラもあって目立つタイプの人間、私の周りの同期はそんな方がたくさんいます。その中で私はあまり目立つタイプでも、すごい技能の持ち主でもありません。その中で私のできることは、頼まれたいかなる仕事も可能な限りたくさんこなしていき、多くの失敗をして、より多くの経験を積むことです。入ってくる後輩たちにも、DYMは努力したらその分正当に評価してくれるのだと教えてあげられる先輩になりたいと思っています。できない人の気持ちを理解できるのはできなかった人のみ、だとしたら私がそれになります。管理部では、業績、利益を追いかけたりするようなことはありませんが、どの部署よりも学ぶことが多い部署なので、まずは先輩方に多くの質問を投げかけて、いきいき自分を成長させていきたいと思います。多義にわたる管理部でどの業務が自分に任されるかはわかりませんが、何を負かされたとしても、企業に関わる皆がたくさんの活躍をできる環境にあります。ピンチですらチャンスです。その中で、自分の強みを活かして仕事をするのが重要だと思っています。「解釈力」という自分の長所を活かし、上司からの指示を確実に汲み取り、実施していき、社員を影ながら支えられる社員になりたいと思います。これからの1年で、まだ「何者でもない」自分が努力で「何にでもなれる」のだと私自身が証明し、社会人生活を全力疾走していきたいです!