DYM

-2016年新卒内定者紹介サイト-

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出身大学 / 同志社大学 商学部

大切な人を大切にできる人間になる

誇れること


  • ポジティブマインド
  • せんと君として踊ったこと
  • 「あの頃は良かった」という生き方をしていないこと

私の学生生活

     

私の学生生活は起業、特定非営利活動法人、県庁協働、地域活性化、バイク旅、ヒッチハイク、ボランティア活動、大学祭活動、部活動、音楽活動等といった比較的アブノーマルな学生だったので、叩けばホコリがたくさん出ます。また、私は知らない思い出や空気が沢山染み込んでいて、そこに自分も新しい思い出を付け足していくことに幸せを感じる性分であるため、キラキラした新しいものより、ヴィンテージで年代を感じるものが好きです。大学時代は、何かの物語に出てきそうな○○壮という、階段がダリの絵画のよう歪んでいる、築60年で中央部が吹き抜けの木造建築、屋上付き4階建ての半世紀以上も昔に建てられたアパートで1人暮らしをしていたことがあります。友人たちと一緒に屋上で寝転がり、月や星空を眺めながらビールをプシュッとしていたことが懐かしいです。京都に出没する妖怪たちを癒している留り木のような建物でした。もしかすると、私は妖怪たちの仲間入りをしていたのかもしれません。

人生で最も頑張ったこと


何か1つを挙げることが出来ないため、大局観として人生を振り返ったときに挙げられることは「先が見えない中でも、懸命に努力することができた」ということです。ミケランジェロの建築物は、その完成物以上に、それが着工200年以上も時間が掛かったということに感動を覚えますが、私も不器用なりに努力して、ここまで到達することができました。しかし、私は母親に対して謝罪しなければならないことが幾つもあります。不良だったり、特別な問題児だったわけではなく、至極平凡な息子だったと思いますが、よく考えると沢山の迷惑をかけてきました。また、滲み出た汗を繻子のように光らせ、3人の子どもを食べさせるという意思を絶やさずに行動し続けることができるのは何故だろうと、幼い頃は不思議に思っていました。私をここまで大きく育ててくれたことに感謝しています。株式会社DYMには先輩方々の幾多の意思が積み重なっています。私もその一人の社員として、一塊となって社会に挑戦できるよう、精進します。

就職活動中のエピソード


1つ挙げるとするならば、京都から東京までバイクで旅行しながら、就職活動をしていたことです。お風呂がない東京の友人宅に泊まっていたときに、足繁く通っていたのは、吉祥寺の「弁天湯」「鶴の湯」「よろづ湯」という風情がある老舗の銭湯でした。昼間は学生や買い物をする主婦で賑わう駅も、夜になると表情を変えて、どこからかフォークギターが聞こえてくる。銭湯に着くと、彼は元気になる。修学旅行で枕投げをしている小学生6年生みたくはしゃぐ。裸になって荷物をロッカーに詰め込むのは一瞬。彼の精神の興奮状態が、最高潮に達すると「ワォーン!」と叫びながら、ぼくのお尻を2つに割ろうとする。「はやく行こうぜ!ペチン、ペチン」「やりやがったな!ペチン、ペチン」お互い大人同士なのに、興奮してお尻を蹴りあげるというのは、一体どういう精神作用なんだろう。お互いに笑い合っているけど、何が面白いのだろう。そんな性懲りもないことをしながら、私は就職活動を楽しんでいました。

   

誇れることを教えて下さい。


結論から言うと、良き母親と家族に囲まれて、良い家庭環境で育ってきたことです。また、人生の大きな節目には必ず手紙を書くという文化があります。インターネットやスマートフォンの時代になって、キーボードや画面にタッチするだけで、誰かとつながることが当たり前の時代。しかし、自分の文字で気持ちを伝えることは絶対になくならない。大切な気持ちほど、自分の手で繕ったものを渡したい、と私は思っています。子が生まれて、名前を考えるときも同じです。もしかすると、書籍ではなく、インターネットで名前を参考にするかもしれません。しかし、候補に挙げられた名前は、白い紙の上で試される。この名前で、家族から、友人から、何万回と呼ばれてつながっていくんだな。持ち物に、試験用紙に、契約書に、何万回と書いて大人になっていくんだな。そう思いながら、何度も何度も書き直す。こんな子どもに育ってほしい、元気であればそれでいい、生まれてきてくれてありがとう、という溢れる思いを胸に抱きながら付けられた名前も、親から子どもに送る「一通の手紙」なのかもしれません。その手紙を書いた日の両親の思いを大切にしなくてはいけないなと思っています。

座右の銘を教えて下さい。


私の座右の銘は、「克己心」「真心」という言葉です。前者については、中学生時代に所属していた剣道部の手拭いから来ています。この言葉があったからこそ、中学時代は1日平均14時間以上の勉強を継続させ、志望校合格という目標達成のために精進することができました。また、高校時代は学費を賄うために起業し、辛い時期も乗り越えることができたのは、この言葉があったからです。後者については、人間の言動や行動は、他者から如何に抽出され、形成されていくのかということを実感する出来事から来ています。そして、私は1人の人間として相手に向き合い、誠意を尽くしたいと考えるようになりました。これらの言葉が、私の座右の銘になっていたのは、真面目で天真爛漫な母、努力家の妹、天才肌の弟の中で、「凡庸な自分はどうすれば家族から認められるか」という悩みを乗り越えて、気が付けば、父親のようなポジションで家族を大切にしていたことに拠るのかもしれません。

DYMを選んだ理由


私は「高い専門性」と「幅広い知識」を持つことで、重要な意思決定の際に自分しか提供できない価値を与える仕事がしたいと思っており、WEBコンサルタントがもつこの2点に興味をもっていました。私は特定非営利活動法人で、海外インターンシップをする人を対象にセミナーを開いてきました。心理学の理論を使い、異国の地で「陥りやすい心理状況」「社員との接し方」等といった「専門的なアドバイス」と、受講者の渡航する国々の細かい情報やそこで働いている日本人の体験談を徹底的に調べ上げた上で「幅広く細かい助言」をし、受講者を支援してきました。受講者から「安心して海外にいける」といった好評を受け、人生の機転に価値を提供できた喜びと達成感を実感し、この経験から「同じような仕事を様々な企業を対象に行いたい」と強く思いました。コンサルティングは「経営に対する専門性」が高く、「多種多様な業界の知識を把握し様々な状況に対応できる柔軟性」を持って顧客に付加価値を与えるため、私の理想とする仕事に一致していると考えています。そして、株式会社DYMは、年率140%以上の成長ができるよう経営企画が組まれており、頭から湯気が湧くほどのハードワークをしようと考えている私にとっては理想の環境でした。脳の成長率は35歳以降から鈍化します。従って、20代は出来るだけ鋭角に成長し、経験値や知識を養うことで総合判断力と推進力を養いたいと考えています。

将来成し遂げたい夢


小中高の夢は「警察官」「弁護士」「国際連合」とウロウロしていましたが、現在は「大切な人を大切にできる人間になる」ために精進しております。その為には誰よりも努力して成果を出す必要があります。従って、直近の目標は「まず、同期の中で1番の営業成績を取る」ことです。また、私の夢というものは、「BOPビジネスで新たな雇用を創出する」ことです。私の過去の家庭環境から、幼い頃に貧困というものに興味を抱きました。高校当時は部活以外に所属していた国際ボランティア団体でカンボジアに行った際、「自分たちがやっていた支援はこの程度なのか」、「持続可能な仕組みを作りたい」という思いを抱き、大学では海外インターンシップを運営する特定非営利活動法人に所属しました。WEBコンサルティングとは様々な解釈がありますが、私は「誰に何をどのように販売するかに関わる活動全般」を指すものと考えています。私はその道の専門家として30代までに実力を付け、海外で「BOPビジネスで雇用を創出する」ことに尽力したいと考えています。

一年後の目標


私の大学同期のほとんどはそれなりに名の知られた企業に就職していきました。私自身、大手企業をたくさん受けてきましたし、実際に内定もいただきました。最終的に入社を決めたDYMは、同級生の中では完全に異端のファーストキャリアでした。色んな想いを抱えながら、入社しましたが、まずはビジネスマンとして入社1年めの目標は「キミに担当してほしい」と仕事で信頼される人になることです。報連相を大切に、頼まれたことは必ずやりきります。WEBに特化した広告代理店では、営業から運用、分析から提案までを1人でこなす機会に恵まれています。例えば、SEOを例に挙げると、施策の基礎知識、検索エンジンの知識、HTMLやJavaScriptの知識、サーバーサイドの知識、調査と検証の能力、ウェブサイトのリンク構造整理やキーワードの抽出能力、顧客業界知識、コンテンツ制作能力、白黒判別能力などの数え切れないスキルが提案には必要になってきます。しかし、デジタルマーケティングは機能別に組織してもその分野だけ知っていればOKというほど単純な世界ではありません。検索連動型広告の運用部署でGoogle Adoworsの資格取得など、定量的な目標を掲げながら1つの専門性を高めつつ、その他WEB領域でも上手くバランスを取って、組織に変化をもたらす触媒になれるよう経験を積んでいきます。