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-2016年新卒内定者紹介サイト-

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出身大学 / 岡山大学 法学部

「任せたい」と言われる人間になる。

誇れること


  • 全国国公立オープン2連覇
  • 高校、大学を通して4度の冬練を乗り越えた事
  • 記憶力

私の学生生活

     

大学ではソフトボール部に所属し、3年の9月から主将を務めました。その後すぐの11月の中国大会で、私たちは初戦敗退に終わりました。先輩方から期待されていた分、非常に悔しい気持ちでした。敗退の原因を話し合ったところ、チームで目標の共有がなく、意識の差があるという結論になりました。それ以降、春に行われる全国国公立大学オープンで優勝という目標を立て、頻繁に口にして全員の意識をそこへ向けるよう工夫しました。また、ミーティングの質も上げることで、メンバー側からの意見も出るようになり、刺激しあう環境を作ることができました。結果的に私たちは国公立オープンで優勝し、チームで目標を共有することの大切さを学びました。また、チームを率いる経験をしたことで主体的に考え、行動する力が身につきました。アルバイトでは個別指導塾講師を務め、成績アップや志望校合格に向けた提案、授業をしてきました。ここでは観察力が身につきました。

人生で最も頑張ったこと


高校時代、野球部で甲子園大会出場を目指して部活に取り組んだことです。ここで一つ困難を乗り越えた経験があります。私は、セカンドのレギュラーとして試合に出続けていました。ところが、高校3年の春、紅白戦でセカンドを守っていた私の目の前で打球がイレギュラーし、顔面を直撃しました。それから1週間の間は練習に参加できず、1つ下の後輩がレギュラー候補となっていました。私はすぐにレギュラーを取り返そうと思っていましたが、いざノックを受けると体が拒否反応を示し、とても野球ができる状態ではありませんでした。夏まで時間がなく、焦ってばかりでしたが、練習しかないと思い、毎日誰よりも遅く残ってノックを受け続けました。一度怪我をしたことで、以前よりもボールへの入り方の考えるようになり、夏前には守備では誰にも負けないという自信を持てるまでになりました。最後の大会はレギュラーとしてフル出場し、ノーエラーで県大会ベスト4に貢献しました。

就職活動中のエピソード


私は、父親が東京に単身赴任しており、岡山と東京を往復しながら就職活動を行っていました。東京では、今まで知らなかった会社や新しい事業に出会うことができ、それまで大手企業に行くことをゴールとしていた私の就職活動が変わりました。様々な会社を知り、いろんな人の話を聞いたことで、自分の将来のあるべき姿を思い描き、それが実現できる会社に入社することが就職活動の目的だと理解しました。当時から企業の想いと人の想いの両方の実現に貢献したいという観点から人材業界を志望していましたが、その中でもより多くの問題を抱えていると感じた新卒採用の現場に携わりたいと考えるようになりました。私は偶然東京で就職活動ができましたが、そうではない全国の就活生のために何かできるかもしれないと思いました。また、早くから多くの経験ができるというのも企業選びの軸でした。成功と失敗を積むことで、状況に応じた正確な判断力を身につけ、いち早く一人前のビジネスマンになります。

   

誇れることを教えて下さい。


私の自慢は模倣力です。幼少期から野球を続けてまいりましたが、上達するためにはまず上手い人の真似をすることが大切であると父から教わり、徹底的にプロ野球選手のフォームを研究して真似ました。そうすることで体の動きを理解し、試合で生きるプレーができるようになりました。それ以来、なにか新しいことにチャレンジするときや、難しいことに立ち向かうときには、誰かからヒントを盗むことで乗り越えてきました。オリジナリティが大切であるとよく言われますが、私はまずこの模倣力を活かしてビジネスの現場で活かせる型を作っていき、更に学んだことを加えて自分なりのオリジナリティを出していきたいと考えています。インプットの量と速さには自信があるので、吸収したことを絶えずアウトプットすることで体に覚えさせていきたいと思います。ちなみに小中高大学でチームメイトだったメンバー、担任をしてくださった先生方、大学時代のアルバイト先の社員さんのほとんどは真似できます。

座右の銘を教えて下さい。


座右の銘は「即今只今」です。これは、「今できることを真剣に」、「全力で今を生きる」といった意味の言葉です。私はもともと物事の取り掛かりが遅かったり、今やるべきことを後回しにしてしまうといった性格でした。幼い頃から父親に「優先順位を意識して動きなさい」と注意されることが多く、小学校の文集では、担任の先生から「時は金なり」と書き込みをされるほどでした。そんな私が「即今只今」に出会ったのは、高校生の時でした。私は当時寮に入っていたのですが、ひとつ隣の部屋を使っていたのが、同い年の陸上部のキャプテンでした。彼は、福岡県出身なのですが、専門競技の棒高跳びを極めるために、中学2年生で私の地元香川県観音寺市に単身留学でやってきました。常に今を全力で生き、今しかできないことを選んで厳しい道を行く、そんな彼の部屋に飾ってあった言葉が、「即今只今」でした。私はその意味を聞いて感銘を受け、いつかこの言葉が似合う男になれるようにと座右の銘にしております。

DYMを選んだ理由


なんとなく人材ビジネスに携わりたいなと思っており、ナビサイトから届いたメールに「DYM 人材」と書いていたという理由だけで参加した説明会でしたが、水谷社長の話を聞いて、それまで考えていた以上に新卒採用の世界には課題があることを知りました。それと同時に、一つの問題に対して徹底的に原因を究明し、その解決策を本気で実行しているDYMに入って、私も自分自身の力で社会を変革していきたいと考えるようになりました。また面接を通して出会った社員の方々の「新しい価値を創造したい」という貪欲さを見てかっこいいと思いました。選考中に水谷社長をはじめ、多くの社員の方々にお話を伺いましたが、全員が明確なビジョンを持っており、それを生き生きとした表情で語っている姿に惹かれ、自分もそんな働き方がしたいと思い、この会社を選びました。私も自分の将来のあるべき姿を思い描いて、それに向けた計画を立て、一つ一つ実行していく人生にしていきたいと思います。

将来成し遂げたい夢


現在は東京で働いていますが、将来的には出身地の四国をはじめとする地方学生の就活をサポートし、全国の人々、会社を元気にする事業を行うのが夢です。私は就職活動中、東京で多くの会社、人と出会い、たくさんの選択肢の中から今の会社を選びました。その経験を通して感じたことは、都市部と地方の間には大きな情報格差があるということです。地方で暮らしている時には気が付かなかった情報格差を埋めて、大企業、公務員が必ずしも就活のゴールではないということ、自分の将来像、叶えたい夢を実現できる会社に入ることが本来の就職の目的であることを伝え、日本の就活の常識を変えていきたいと思います。そして将来は自分が学んだことを香川、岡山で活かし、新しい価値を生み出すサービスをしていきたいと思います。まずは自分から元気を発信して仕事に取り組み、一人でも多くの人の想いの実現に貢献し、地道に実績を重ねていくなかで信頼を勝ち取っていきたいです。

一年後の目標


私の1年後の目標は2つあります。1つ目は、同期の中で一番利益を出す人材になり、役職につくことです。DYMでは1年目でも活躍できるフィールドがたくさんあり、それを掴んできた先輩方が大勢いらっしゃいます。まずはそういった先輩方に学び、役職を手に入れ、より大きな仕事ができる人間になりたいと考えています。2つ目は地元の方々に少しでもDYMについて知ってもらうことです。四国出身の私は、公務員か、教師か、地方銀行かといった就職活動を考えておりました。しかし東京に来てDYMの説明会に参加し、この会社の事業や文化を地元の方にも知ってもらいたいと本気で思うようになりました。1年後には一人でも多くの後輩から「DYMを受けてみたい」と言ってもらえるように、まずは自分がこの会社で活躍したいと考えています。現在は新卒紹介事業部でインターン生として業務を行っていますが、地道な作業、細かい仕事を1つずつ丁寧にこなしていくことが初めの成長につながると思うので、先輩方から意見をいただき、着実に実行していきます。それを積み重ねていき、一日も早く周りにの方からの信頼を得て、少しずつ大きな仕事に携われるようになりたいと思います。