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出身大学 / 法政大学 社会学部

同い年を見返す

誇れること


  • 23歳で大学入学したけど、大学を楽しめた。
  • ママチャリで日本橋から京都三条大橋までを走破。
  • シメオネ監督のサインを貰うために、人生の初めての海外、初めての一人旅行に行ったこと。

私の学生生活

     

私は23歳で大学に入学しましたが、入学した時に考えていたことは、「せっかく大学に入ったからには、学生らしいことをしたい」でした。サークル、アルバイト、ゼミナールや旅行と学生らしいこと体験したと思います。23歳の私でも受け入れてくれたサークルでは、合宿時行われるイベントの司会を務めたり、アルバイト先の居酒屋さんでは4年間続けていく中で自分自身は周りの人に貢献したい気持ちが強いことが分かったりと学生らしいことは経験できたと思います。その中で特に印象に残っているのは、2年生の頃に行ったヨーロッパ旅行です。このヨーロッパ旅行を計画したのは、1年生が終わった頃でした。1年が過ぎ、長期休みの時に学生らしいことをしていないと思い、サッカーが好きな私は「そうだ、サッカー選手にサインを貰いに行こう」と考え、夏休みに実行したのです。初めての海外旅行を1人きりで行くというものでしたが、不安よりもワクワクが強かったことを覚えています。行きの飛行機でたまたま席が隣だった日本人学生と後日ご飯に行ったり、スペインで出会った台湾人の子と1日いっしょに観光するなど、様々な出会いがあった旅行でした。肝心のサインですが、残念なことにレアルマドリードとバルセロナの選手に貰いに行ったところ、ちょうど代表選手が外に出ており、もらえませんでした。代わりに違うチームの選手のサインを貰って帰りましたが…。"

人生で最も頑張ったこと


それは「大学受験」です。これを選んだ理由は私が自発的に行動し、継続し、目標を達成したからです。大学受験を選んだきっかけは、自分自身がこのまま30歳を迎えたらと考えた時に、大きな不安を感じたからです。受験勉強を始めたときには、予備校に通うお金がなかったので、独学でやるしかありませんでした。受験勉強の本やインターネットに掲載されていた勉強計画を参考にスケジュールを作成し、アルバイト代で参考書を購入し、受験勉強をしていました。成績が上がらないときは、自分に何が足りないのか。勉強量なのか、それとも勉強の仕方なのか。考えながら過ごしていました。また、この大学受験をするという選択は自分にとって正しいのか。合格できなかったら、どうなるのかなど先行きが曇っている中で進んだことは今考えると、精神的に鍛えられたなと思います。そして、センター受験を失敗して、援助してくれる人を裏切る行為した後にラストチャンスと言われ、全部落ちたらと不安になりながらも合格を勝ち取ったこと、これが私の人生で一番頑張ったことです.

就職活動中のエピソード


就活中は色々な出会いがありました。インターン、説明会での社長さんの言葉が印象深いです。私はある人材系の会社のインターンに参加させてもらいました。このインターンとはある合同会社説明会で出会いました。この会社のインターンが目的で、合同会社説明会に行ったわけではなかったのですが、このインターンで自分の物事に対する考え方など、これからの人生において影響を与えるものになり、加えてインターンのメンバーと終了後に旅行に行く間柄になれたことも印象に残っている理由です。就活をしているときは、多くの会社説明会に参加すると思います。そこで、社長さんが登壇されてお話ししてくださる機会が何度かあり、社長さんの言葉で印象に残っている言葉に出会いました。その一つが「自分の周りの“不”を解決することが自分の成し遂げたいビジョンになる」です。これが自分のビジョンになるのかと驚き、自分自身の考え方の一つになりました。このように、説明会に参加するだけで新たな価値観を吸収できたのはいい経験でした。

   

誇れることを教えて下さい。


私の誇れることは「どんな環境にでも順応できること」です。いつ確信したかと言われれば、大学4年間を通して確信に変わっていきました。18歳の頃のからアルバイトを何個か経験してきて、年齢や性別、または国籍の違う人々と一緒に働いてきました。どのアルバイト先でも周りの人から可愛がってもらっていたので、環境に順応できる自信はありましたが、大学は別だと感じていました。なぜなら、自分よりも年下しかいない集団に入って4年間過ごすことが自分にできるのかどうか不安に感じていたからです。初登校日にサークルの勧誘チラシを1枚も貰えなかったことで心が折れそうになりましたが、自分からサークルのチラシを貰いに行くなどして適応しようともがいていました。その後、1か月で入学前の不安は吹き飛びました。すぐにクラスにも馴染むことができ、自らチラシを貰いに行ったサークルに入り、2年時からゼミも始まり、普通の大学生を23歳から入学した私でもできたことで、私の誇れるものとなりました。

座右の銘を教えて下さい。


DYMを選んだ理由


就活時の企業を見させていただくポイントは、その企業に入って成長できるかどうかでした。そうした中で、たまたま就活サイトで見た「世界で一番社会を変える会社を創る」というメッセージに興味を持ったので、説明会に参加しました。その説明会の中でお話しされていたバッテキ人事も魅力的に見えました。具体的に、どのくらいポストが空いているか、そして結果を出せば、そのポストに就けるという説明がされており、私は同い年よりも5年遅れて社会に出るので、同い年に追いつき追い越さないといけないと感じていたので、これだなと思いました。また、選考に進ませていただいた過程で社員の方々とお会いして“カッコいいな”って感じたことが入社した大きな理由です。社員の方々はこの会社はあらゆることを逆算する力を持つ人やプレインマネージャが多く、自分のすぐ近くに目標がいて、まねできる環境があることや結果にコミットする力がつくということを仰っていまして、ここでなら私は成長できるなと強く感じたので入社することを決めました。

将来成し遂げたい夢


それは「あらゆる子供に教育の機会を与える社会を作る」です。なぜ、この目標かというと大学入学が影響しています。私は22歳の頃、大学に合格したのですが家族の関係で大学入学を断念せざるを得ない状況に直面しました。私は大学をあきらめかけた時に、高校時代の部活の同級生が手を差し出してくれたのです。この援助のおかげで、私は23歳の時に大学入学することできました。私は幸運でしたが、私のように家族関係で大学入学や教育を受けたくても受けることのできない子供がまだまだいると思います。私は援助してくれた同級生に恩返しすること、そして教育を受けたくても受けることのできない子供たちにも教育のチャンスを与えることができたらなと思ったこと、教育を受けることによって人生の選択肢を増やすことになり、それが社会に対しての貢献にもなると思い、この目標にしました。その第一ステップとして、企業ビジョンに「世界で1番社会を変える会社」を掲げ、自分自身を成長させることのできる環境だと感じDYMに入社を決めました。

一年後の目標


"私の1年後の目標は、数字で会社に貢献できる人材になることです。利益をあげるだけではなく、献身的に地味な仕事を引き受けることや納期を守るなど社会人として「当たり前」のことを当たり前にこなせる人材になっていたいと思います。また、業務面だけではなくベンチャー企業であるDYMにおいて元気の良さは誰にも負けたくありません。同期とはもちろんですが、多くの実績を残されておられる先輩方に一日でも早く追いついて、越えていく人材になります。私自身、これまでの人生の中で特別優れた能力があったとは考えておりません。だからこそ、誰よりも目の前の目標に対して親権に向き合い努力することの尊さを学んできました。努力が必ず報われるわけではありませんが、努力しない限り自身の成長はあり得ません。日々の業務において壁にぶつかることや自身の未熟さを痛感することを一度真摯に受け止め、前向きに進んでいく素直さと一生懸命さを売りに精進して参ります。どんな業界においても一流と呼ばれる人は皆、目標に対してやりきっています。当然ながら簡単なことではありません。しかし、私自身の未来を明るいものにするために、今という瞬間に妥協することなくまっすぐ突き進んでいく姿勢を貫いて参ります。"