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出身大学 / 桃山学院大学 社会学部

嫁さんを幸せにする!(の前に結婚をする)

誇れること


  • 11年連続で全国大会出場&インターハイ入賞
  • 美味しい手料理をつくってくれる母親
  • いつまでも元気な父親

私の学生生活

     

遊ぶときは全力でした。大学一年生の頃は部活→授業→部活→睡眠、このサイクルでした。非常に面白くありませんでした。高校生の頃から比べて、通っている場所が大学になっただけ。トレーニングしている場所が大学の施設になっただけ、と生活パターンが変わらず何か変えなければ大学生になった意味がないと思いました。しかし、20年間続けてきた水泳だけは、愚直に毎日トレーニングに励むことは決めていました。なので、それ以外の時間をもっと変えていこうと考えました。簡単に言うともっと大学生らしいことをしようかなと。部活があるので時間は限られていましたがその時間で全力で遊びました。暇があれば逃しませんでした。鰻が食べたいと思えば名古屋に車を走らせ、温泉に入りたいと思えば熱海までの新幹線に飛び乗っていました。小籠包が食べたくて台湾に日帰りで行ったこともあります。思いつきで富士山にも登りましたね。今考えれば馬鹿だなと思いますが、楽しかったし全く後悔していません。

人生で最も頑張ったこと


高校3年生のインターハイです。正確には高校2年生のインターハイからの1年間です。私は競泳競技をしておりました。全国大会へも10年以上出場し続けていましたし、そこで表彰台に上がったこともあります。しかし、高校2年生のインターハイ、上位8名が決勝に進出できるのですが、結果は予選敗退。決勝進出は当たり前で、メダルを狙おうかという位置にいました。この結果に非常に悔しい思いをしました。上手くパフォーマンスを発揮できなかった要因は色々ありますが、結局のところ自分の準備不足でした。ここからの一年間、ほとんどこの悔しさがモチベーションとなってトレーニングに打ち込みました。高校3年生のインターハイは水泳人生で一番輝かなくてはいけない大会、といわれるほど大事なものです。一日25km泳いだこともあります。一日8時間泳いだこともあります。そんな一年間でした。3年生のインターハイ、全国ランキング1位で大会を迎えました。しかし終わってみれば第5位。優勝とは約1秒差。悔しかったです。しかし、どこか気持ちは晴れやかでした。この結果でも、ずっと応援してくれていたライバルがいたり、この結果に泣いて悔しがってくれる同期や先生がいました。一年前にはなかったことでした。それだけ僕がこの一年やってきたことは、他人の目から見てもすごいことだったのだと感じました。

就職活動中のエピソード


私の就職活動の軸は、若いうちにどれだけ稼げるかでした。基本給が高く、そしてインセンティブがあってガンガン稼げる、といった企業しか見ていませんでした。ですので、自然と自分の中では大手企業という選択肢は淘汰されていったように感じます。成長しているベンチャー企業を中心に見ていました。就活を始めた頃は、稼げる=不動産だ!という、今考えればすごく安易な発想で就職活動をおこなっていました。最初に受けた不動産のベンチャー企業の選考が少し変わっていました。街行く人に声をかけてアンケートを回収するというものでした。いかに初対面の人に対して警戒心を抱かせないか。どんな戦略を立てて課題に取り組むかを見られていたのだと思います。これまで新卒採用ではこの選考を必ず実施していたそうですが、それまでの最高記録が29枚。私の記録が42枚で歴代最高でした。この結果で本来あったはずの面接がなくなり内定まで至りました。さすがベンチャーといった感じでした。

   

誇れることを教えて下さい。


2歳から大学4年まで水泳を20年以上続けたことです。物心が付く前からスイミングスクールに通っていました。通い始めたきっかけは、あまり体が強くなかったという両親がベビースイミングに申し込んだことです。そんなことがきっかけで通わせ始めた息子が、最後には全国の舞台で戦うスイマーになるとは全く思っていなかったそうです。始めた頃は相当嫌がっていたんだとか。それが顔を水に付けられるようになり、バタ足が出来るようになり、クロールが出来るようになったりと出来なかったことができるようになることが嬉しくて、楽しかったのは覚えています。それを繰り返して選手として試合に出場するようになってもやはり同じで、0,1秒でも自己記録を更新することが嬉しさと楽しさでした。小学生の頃には全国の舞台で戦っていましたし、私の水泳人生で、インターハイで入賞したことが実績としては一番誇れるものです。正直20年間、楽しいことばかりではありませんでした。しかしそんな中でも、少しでも何かできるようになろう、記録を上げようと努力し続けて積み上げた20年間。一つのことに熱意を注ぎ続けた20年間が私の誇りです。

座右の銘を教えて下さい。


『今一瞬がのちの全て』。これは私が高校一年生の時に水泳部の主将から頂いた言葉です。言葉の意味そのままで難しくないので、自分にはスッと入ってきました。この当時はただの水泳バカだったので水泳に置き換えることでしか、この言葉の意味を捉えられませんでした。今日の1回の練習、いま目の前のこの1本の練習、この1メートル、この1秒がとても大切で今後の結果に繋がっているんだなと。この言葉を日々思いだしながらトレーニングに取り組んできました。しかし大学生になって、色んな価値観を持ち始めました。そして次のステージは社会人なんだと考えた時に、またこの言葉を思い出し、考え直しました。とはいっても、大学生の内にできることはなんだろうと考え、勉強はもちろんですが、思い切り遊ぶことだ!と思ったのでそうしていました。行動として、本を読んだり、ちゃんと勉強をしたりもしましたが、今、今が大切なんだと思いながら過ごせたのが良かったです。

DYMを選んだ理由


直感、といったところが本音です。ただ、面接をしてもらった社員全員が、仕事に対して熱い思いを持って取り組んでるんだなと感じられました。それが素直にカッコいいなと思いました。人当たりが良いよかったとか、そういうのではなくて自分がなりたい人物像と重なる社員が多かったんです。その感覚は入社してからも変わらず感じているので、やはりDYMを選んで良かったなと思います。また、間違いなく社会に対して貢献性の高い仕事ができるところ、その上で圧倒的に高い給与を得られるという環境にも魅力を感じました。成果を出した分しっかり評価されることは大切ですし、ベンチャーなので自分の成長が会社の成長に直結するという責任も感じられます。成長している企業なのでそのベクトルに合わせて自分自身も倍で成長できるところもDYMの良さだと思います。あと、他人の2倍働いて3倍遊ぶみたいなDYMの文化にも惹かれました。遊ぶために仕事を頑張るのではなく、仕事をするために思い切り遊べる社会人でいたいです。

将来成し遂げたい夢


まずは何よりも仕事の面で、どこへ行っても、あいつに仕事を任せれば大丈夫、と言われるような人材になります。そのためには信頼を失わないように日々真摯に仕事に取り組まなければならないなと感じております。凡事を徹底するという当たり前のことをきちんと出来るようにならなければいけません。会社に依存しないビジネスマンになること、それこそどこへ行っても必要とされる人材になることが目標です。将来は出身地である大阪に家を建てます。そして大阪を拠点に全国、世界を股に掛けて仕事をします。DYMの大阪支社を東京本社に負けないぐらいに大きくしたいです。今また、まで大切に育ててくれた両親にもたくさん恩返しもしたいと思います。結婚していつまでも嫁さんを大切にできる男でいたいです。仕事もプライベートも充実させたいです。しかし、20代のうちは振り切って仕事をして、圧倒的に成長します。ベンチャーで働いているから成長できるとは限らないので、どんどん自分から動いていかなくてはと感じています。

一年後の目標


一年後の目標は大きく三つあります。一つ目は、とにかく同期で1番の利益を出せる社員になること。まずは数字、成果で会社に貢献できる社員になります。新人賞は必ず取ります。数字だけにこだわるわけではないですが、まずは結果を出して認めて頂けるようにします。二つ目は、役職者となること。一年後、後輩を迎えるタイミングではその後輩の見本となり、育成する存在でないといけないと思います。そして、社内でそれだけの価値を発揮しなければいけません。それにふさわしい成長ができるように、しっかり未来を見据えながら日々仕事に取り組んで参ります。三つ目は、採用メンバーになること。これは会社の重要課題に貢献するということはもちろんですが、DYMの社員として一緒に働く仲間を探せるということに魅力を感じるからです。僕は、選考面接で社員の皆さんに会って話して、この人達と働いてみたいと思いました。今度は反対に「この人と働きたい」と思ってもらえるような魅力的な社会人に成長します。入社前、インターンなどを通してDYM社員の皆さんにお会いするたびに痛感するのは、学生である自分と社会人の意識・考えの差です。一秒でも早く先輩方に追い付き、社会的に価値を発揮できるように振り切っていきます。