DYM

-2016年新卒内定者紹介サイト-

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出身大学 / 福岡大学 経済学部

自分の実家のお店の広告を作ること

誇れること


  • 負けず嫌い
  • 努力家
  • 笑顔

人生で最も頑張ったこと

     

高校の部活動です。創作ダンス部に所属していました。私たちの部活は専門の顧問がいなかったので教えてもらうのはすべて先輩方からでした。基本的な準備運動やからだの動かし方、振り付けも全部が先輩方から受け継いでいくので、自分たちが上の代になったときが一番苦労しました。発表会で披露するダンスも振り付け、構成、衣装、照明、演出まですべて各ジャンルのリーダーが考えることになっており、1つのジャンルリーダーをやりながら他の3つのジャンルのダンスメンバーとして踊らなくてはいけなかったりと、両立がとても大変でした。ダンスが得意でジャンルの雰囲気に合った踊りができる子もいれば、なかなか上手く振りが覚えられず、苦戦する子もいたり…。10数人いるメンバーの一人ひとりの動きをあわせるまで、練習は過酷なものでした。それでもステージで踊りきった後のお客さんの笑顔と拍手が何よりの達成感に繋がりました、人生で一番、泣いたり笑ったりしながら一つのことを極めた時期だったと思います。

私の大学生活


私の卒業した福岡大学は、医学部から経済、商学、人文、理学、スポーツ科学等々、様々な学部が一つのキャンパスに集まった九州一の総合大学でした。そのため、自然と友好関係は広くなり様々なジャンルの人たちと関わることができてとても面白かったです。特に私は静岡出身で、九州地方の文化や言葉に触れるのも初めてだったのですべてが新鮮だったのを覚えています。サークルは軟式野球のサークルで学校公認サークルだったので全部で100人以上のメンバーがおり、ほぼみんなが違う学部から来た先輩や同期、後輩達ばかりだったので人脈も広がって楽しい大学生活を送れました。その一方でひとり暮らしの生活費を自分でまかなうため、バイトも頑張りました。居酒屋、ダイニングバーやアパレル販売員から、コールセンターや事務などいろんなバイトを経験しました。一人で生活していく大変さも身にしみつつ、遊びも目いっぱいした充実した大学生活だったと思います。

就職活動中のエピソード


広告業界に絞って就職活動をしていました。昔からレイアウトや何か動画やアルバムを作ったり、文章や写真を組み合わせたり、広告のキャッチコピーを読むのも好きだったので、この業界に興味をもちました。軸が決まっているのはいいものの、今年から就職活動も前倒しになり、授業に行きながらの面接のスケジュールを組むのは非常に大変でした。たくさんの人と会社であふれている東京という土地で自分を試したかったので、都内での就職を希望していましたが、福岡~東京間での往復はお金と時間を使うので、きりつめた生活とスケジュールでとてもつらかった時期もありました。東京で広告会社を受け続けましたが、資金もなく、通過しても次の面接にいけず、あと少しのところで落ちてしまったりと夏あたりに私の就職活動は止まってしまいました。母がアパレル経営をしているので影響を受け、アパレル会社への就活をはじめましたが、アパレルの内定者アルバイトをしてやはり広告にかかわりたいという気持ちが大きくなり、冬にもう一度広告業界に絞って企業を探し始め、DYMに出会いました。自分の好きなことを仕事にするのは難しいことですが、あの時あきらめずにもう一度就活をしてよかったなと思っています。

誇れることを教えて下さい。


絶対に逃げないことです。もともととてもコンプレックスの多い人間ですが、自分の苦手なこと、できないこと、つらいことから逃げたことがありません。むしろ、自分が鍛えられるような道を選んできたことのほうが多いように思います。小学校のとき、中学受験をしました。小学高学年で一日6時間以上は勉強し、6年生のときは遊んだ記憶がありませんが、それだけ頑張っても希望の中学に合格することはできませんでした。しかし多少困難な壁も、背を向けずやり遂げられたことの達成感が、私には残りました。高校受験のときは自分の実力よりはるかに高い偏差値の高校を目指し、中学のときのリベンジをしました。見事合格し、高校生活でも、自分の苦手なことにたくさんチャレンジしました。人前に立つことが苦手だった私がダンス部に入って、何百人もの人の前で笑顔で踊れるようになったり、苦手な理数も満点がとれるまで努力しました。そうして挑戦していく姿勢が私を大きく成長させた、誇れるところだと思います。そしてその隣でいつも支えてくれた、よき理解者である両親の存在も、私の誇りです。

座右の名を教えて下さい。


意思あるところに道は開ける、です。どんなに困難な道でもそれをやり遂げる意志さえあれば必ず道は開けるという意味の言葉です。足を踏み出すことをためらっている時、困難にぶつかって折れかけている時、思い出したい言葉です。私の人生でいつもこの言葉は出てきたように感じます。困難なとき、意志があるか、ないかだけで本当に大きく未来は変わります。やる、かやらないか、で変わるとも言えます。逃げ回っていたり、現状維持を続けるばかりでは、人は成長しないと思います。ほんの少しの習慣を一つかえるだけで、一日が変わります。それを続けると一週間がかわり、一週間が続くと、一ヶ月、そして人生そのものが変わったりすることもあります。どんなときも、どんなことも、最初からあきらめているひとのところには未来は開けません。いつもこの言葉を思い出して、困難にぶつかっています。たとえそれがうまくいかなくても、やってよかったと思えています。

DYMを選んだ理由


きっかけはツイッターで見たMeets Companyの広告でした。就職活動がうまくいかず、12月まで続いていた私は、「まだ就職活動を続けているあなたへ」の広告文に引き寄せられるように登録しました。後日連絡があった福岡の社員の方と面談をし、マッチングのありそうな企業を探してもらいました。しかし、時期も時期。ましてや福岡から東京へ面接をうけにいかなくてはいけない条件で、せっかく紹介されても私側もあまり何度も面接にいけないなあと半ば諦めていました。私の話を聞くうちにそのリクルーターの方が「DYMを受けてみない?」と切り出してくれました。私が仕事にしたかった広告というジャンルもやっているので、興味はありました。一番は広告にかかわる仕事ができるという理由ですが、社員の方が福岡から受けられるようにWebで面接をしてくれたり、親身になって話を聞いてくださったりもして、こんなにいい社員さんのいるところでだったら仕事も楽しめそうだとも感じ、選考に進むことを決めました。

成し遂げたい目標


私は小さなころから話すのが苦手だったぶん、文章や写真を使って人の心を動かすことにあこがれていました。あの短いキャッチコピーで人の足をとめるような街中のたくさんの広告やCMに今でも感動します。私の実家は自営業で、アパレルのお店をやっています。まだはじめて5年ほどなので小さいですが、小さいながらに成功して頑張っています。あまり生活が裕福ではありませんでしたが、両親はいつも私たちを一番に考えてくれました。恩返しの意味をこめて、いつか私の作った広告や何かの文章や写真で、お店を世間にアピールするお手伝いができたらと思っています。今は勉強することがたくさんですが、少しでも自分の興味のある部署で働かせてもらっている分、もっともっと勉強して、クリエイティブな仕事ができるように頑張りたいと思います。いつか自分の言葉や技術が、忙しいだれかの足をとめて、その人の心を動かせるような、そんな仕事をしたいと思います。

一年後の目標


1年後の目標はリスティング広告を自分で運用できるようになり、リスティングのノウハウを習得することです。DYMの中でも私の所属するアドセクションは特殊な部署だと思います。一般職ではありますが、レポート作成・数値の管理や、請求書発行など一般事務作業はもちろん、実際の広告の構成を考え、入稿し、運用までします。また、代理店窓口を受け持つこともあり、案件を最初から丸々担当させてもらえるような、責任感のある仕事が多いです。リスティング広告(WEB広告)は関わっていないとなかなか勉強する機会がもてませんが、いま世の中では非常に市場価値のある広告媒体です。与えてもらえる仕事の多さを利用して、解約率の非常に低いアドセクションが積み上げた実績に基づくノーハウを、先輩・上司の方から学び、クライアント様の満足度の高い運用ができるようにしていきたいです。専門用語や、数字の多い仕事なので自主的に勉強をし、同じスタートを切る同期と切磋琢磨しあいながら積極的に仕事に取り組みたいです。また、WEBの世界は変化するスピードが非常に早く、世の中の流行りや動きに合わせて、どんどん機能が変わっていきます。常にアンテナを高くもち、新しい情報をいち早くとりいれて、よりよい広告づくりに貢献していきたいです。